ギルビー・クラークの後任としてGN'Rに参加。当初は、"Paul Huge"として知られていた。アクセルの幼馴染みで「Back Off Bitch」のクレジットに彼の名が確認できる。
イジー曰く「子供の頃、インディアナ州のオレの家の隣に住んでいた男と一緒に仕事をしたというウワサは聞いたよ。確か名前はポールなんとかってやつさ。とにかくオレの近所に住んでいたやつが、アクセルのためにギターを弾いたって話は聞いたが、それが何なのかは知らない」
これは「Sympathy For The Devil」でポールがギターを弾いていることを指しての発言と思われる。スラッシュはポールについて「気に入らない」等の発言しており、相性は最悪だったと思われる。スラッシュ脱退の一因になった人物。ダフやマットの脱退とも関連のある人で、一部にはGN'Rを崩壊させた人物という見方もある。アクセルによると「いいやつ」らしいのだが…。
後に発表されるGN'Rの新曲「Oh My God」の原案は彼によるもの。ロック・イン・リオ(2001/01/15)では新しいメンバーとしてステージに立っていたが、後にリチャード・フォータスと交代している。
アルバム「チャイニーズ・デモクラシー」では、"There Was A Time"、"Catcher In The Rye"、"I.R.S."、"Prostitute" に作曲者として名を連ね、ギターなども数曲でプレイ、アレンジにも参加している。
※ "Huge" の読みについては掲載誌等により異なり、そのままヒュージとしているものと、ヒューギーと記載しているものの二通りある。("Huge" は boogie/ブギーと韻を踏んでいる)
● GN'Rでの初ステージは、2001/01/01 House Of Blues, Las Vegas