1980年代最大のロックン・ロール・アドベンチャーが1988年8月6日に最高潮をむかえた。ゲフィン・レコードからデビュー・アルバム『Appetite For Destruction』をリリースして約1年2週間後、ガンズ・アンド・ローゼズがついにアメリカで1位に登りつめたのだ。
このLAのロッカー達が初のLPをレコーディングしたのは、遡ること1986年の夏のことだった。彼らの噂が高まる中、インディ・レーベルであったウージー/スーサイドからアナログEP盤『Live ?!*@ Like a Suicide』を1万枚限定リリース。しかし実はこれは本当はインディー・レーベルではなく、話題作りのためにゲフィンが特別に作ったレーベルであった。
1987年春、ガンズ・アンド・ローゼズはアルバムのレコーディングを中断し、アイアン・メイデンのUSツアーの前座を勤め、6月にはロンドンのマーキー・クラブで初の海外でのライブを行った。さらに7月21日の『Appetite For Destruction』のリリース直前にはモトリー・クルーとツアーを共にしていた。
マイク・クリンクによってプロデュースされたこのアルバムには「Welcome To The Jungle」、「Paradise City」、「Mr. Brownstone」、そしてもちろん「Sweet Child O’ Mine」を含む新曲12曲が収められていた。しかし、このアルバムはいきなり鮮烈なデビューを飾ったわけではなかった。初登場でなんとか全米アルバム・チャートで182位を記録すると、チャート初登場から1年まであと3週間というタイミングで、ようやく首位を手にした。
『Appetite For Destruction』が首位を飾った時、当時ガンズ・アンド・ローゼズと並んでロック・ファンの心を掴んでいたライバルはイギリスのシェフィールド出身のデフ・レパードであった。ガンズ・アンド・ローゼズが首位を飾る直前までは彼らのアルバム『Hysteria』が2週連続で首位を守っていた。
ロックのバトル・ロイヤルとも呼べるこの戦いは、『Hysteria』が再度2度に渡って首位に返り咲くと、『Appetite For Destruction』も同じく2度首位に返り咲いた。ガンズ・アンド・ローゼズは9月から10月にかけて3週に渡り首位を飾り、翌年の1989年2月にも再度首位に返り咲いた。このアルバムはゲフィンの全ての記録を破り全世界で3,000万枚のセールス記録を樹立することになる。ガンズ・アンド・ローゼズはこのアルバムのツアーを14ヶ月に渡り敢行、全米チャートに147週に渡ってチャート・インし続けたのであった。