ガンズのメンバーが振り返る、93年のカヴァーアルバム『スパゲッティ・インシデント?』

Inside Guns N' Roses' Scrappy Covers Album 'The Spaghetti Incident?'
RollingStone 2016.11 By Christopher R. Weingarten. Translation by Kensaku Onishi

全米で最もやりすぎなバンド、ガンズ・アンド・ローゼズが、93年にリリースしたパンク・カヴァーアルバム『スパゲッティ・インシデント?』を振り返る。

俺達は好きか嫌いかは関係なく、メインストリームの人間として、ある程度の曲を何とかして人々に注目してもらなくちゃいけないのさ。ーーアクセル・ローズ

ガンズ・アンド・ローゼズが駆け抜けた90年代は、一般的に語られる90年代と比べると異色であった。
パール・ジャムの『Ten』、そして、ニルヴァーナの『ネヴァーマインド』がリリースされたのは、それぞれ91年8月27日と同じく91年の9月24日。つまり、劇的な変化をもたらしたこの2つのアルバムは、たった4週の差でリリースされていたことになる。そして、この期間にリリースされたアルバムがもう1つある。それは、ガンズ・アンド・ローゼズの『ユーズ・ユア・イリュージョン I & Ⅱ』だ。 しかし、ガンズ・アンド・ローゼズは、この時代に誰よりも過剰な行動を3年間にわたって取り続けることを許されたのであった。このアルバムをリリースした当日、合計150分を超える楽曲と莫大な予算をかけて制作したビデオクリップを投じ、そして、好き放題の行動に出ては、騒動を巻き起こしていた。スラッシュに至っては、猛獣のピューマをフォーシーズンズホテルに連れ込んだほどだ。当時、ロック・ミュージックはリチャード・リンクレイタ監督(代表作『スクール・オブ・ロック』)好みの孤独で、粗削りを信条とする時代に進みつつあったが、ガンズ・アンド・ローゼズは『ターミネーター』のジェームズ・キャメロン監督好みのスタイルを堂々と継続し、また、実際に『ターミネーター2』とのタイアップにより万全を期していた。

93年リリースの『スパゲッティ・インシデント?』はガンズ・アンド・ローゼズにとってガス抜きのような役割を持っていた。13曲(ボーナストラックを含む)のハードロック、パンク、グラムロックのカヴァー曲で構成された変幻自在で陽気なこのアルバムは、MTVで9分を割くほど予算を持つバンドが、ほんの7年ほど前はブルースやメタルを演奏する貧乏バンドであり、ロサンゼルスで長髪をなびかせ、86年にモンキーズがスパンデックスを穿いているようなものだったことを改めて思い起こさせる。

スラッシュが述べていたように、「イリュージョンが打ち立てた記録によるプレッシャーを軽減する」ための手段として、このアルバムの制作はスタートした。ハリウッドのレコード・プラント・スタジオで『イストレンジド』や『ノーヴェンバ―・レイン』等の 8分にわたる大作をレコーディングする間を縫って、ガンズ・アンド・ローゼズは、ヴィンテージなパンクロックの楽曲の響きをジャムセッションで確かめていたのであった。実際のセッションの内容は若干曖昧ではあるものの、ザ・ストゥージズ、フィアー、ザ・ミスフィッツ、U.K.サブスのスピーディーな楽曲を盛り込むアルバムが最終的に完成した。
当時、『イリュージョン』の長丁場のセッションによって、(現在はすっかり落ち着いている)イジー・ストラドリンは、非常に辛い思いをしていたようだ。アクセルの標準時間に常に合わせなければいけなかったからだ。「『イリュージョン』 では基本的なトラックのレコーディングを約1カ月で終えたんだ」ストラドリンは、このように92年にミュージシャン誌で述べている。「その後、ヴォーカルのレコーディングが終わるまでに1年を要したのさ。その間にインディアに帰って、家を塗装しちゃったよ。バンドが集まって、みんな集中して仕事をしていれば、普通そんなに時間はかからないはずだろ。・・・ツアーでは[ローズが]セットをやっと仕上げたと思ったら、今度はなかなかステージに上がろうとしない。アイスホッケー・スタジアムの楽屋で2時間ぐらい待たされ、その間、壁を震わせるほどの「クソッタレ!早く出てきやがれ!」というオーディエンスの怒声をずっと聞かなきゃいけないんだ。シラフでいると、時間がすぎるのが遅く感じるよ。」
ストラドリンがバンドを去り、新たに加わったギタリストのギルビー・クラークは、忠実にレコーディング済みのストラドリンのパートを演奏した。「俺がイジーのパートを消したと大勢の人達が思っているみたいだね」Songfactsにクラークは語っている。「でも本当は違うんだ。イジ―はあまり演奏していなかったから、俺のパートをレコーディング済みの曲に被せただけなんだ。つまり、イジ―のパートと俺自身のパートを少しずつやった感じかな。」

「初めてレコーディングをした時は、パンクロックのカヴァーアルバムになるはずだったんだ」クラークはそう続けた。「でも、普通のカヴァーアルバムになってきちゃったから、T・レックスを薦めたんだ。当時、T・レックスのTシャツをほぼ毎日着てたからね。"分かった、もう、分かったよ。そのシャツで毎日アピールしてるよね"ってマットにからかわれたよ。それに、『ヘアー・オブ・ザ・ドッグ』についても意見を言わせてもらった。アクセルの声がナザレスのヴォーカルの声にずっと似ていると思ってたんだ。ガンズ・アンド・ローゼズが、俺が加わるずっと前にこの曲を実際に演奏していたことは全く知らなかったけどね。」
『スパゲッティ・インシデント?』の大半は、実は『ユーズ・ユア・イリュージョン』の制作中にレコーディングされていた。しかし、このアルバムが完成したのは、スカイライナーズが58年に発表したドゥーワップの名作『シンス・アイ・ドント・ハヴ・ユー』を含む数曲のレコーディングをツアーの合間に行った後であった。

ドラマーのマット・ソーラムはローリングストーンズ誌に対して『シンス・アイ・ドント・ハヴ・ユー』はボストンでオフの日に録音したことを明かしている。「アクセルがカセットを配り、地元のスタジオで自分達の楽器をセットして、曲をレコーディングしたのさ。クルーがどこかで身動きが取れなくなっていたんだよ。でも、最高レベルのセッションだったね。エンジニアは地元ボストンの若者でさ、レコーディングの直前に呼んだのさ。その時の表情が今でも忘れられないね。"マジかよ、冗談だろ"って顔をしてたんだ」。
ジョニー・サンダースの『ユー・キャント・プット・ユア・アームズ・アラウンド・ア・メモリー』では、ダフ・マッケイガンが、時間をつぶすため、憧れの存在のプリンスと同じようにギター、ベース、そして、ドラムを演奏している。一方、アクセル、ディジー・リード、そして、アコースティック・ギタリストのカルロス・ブーイがチャールズ・マンソンの『ルック・アット・ユア・ゲーム、ガール』を収録し、隠しトラックとして利用した。悪名高い殺人の共謀者として知られるチャールズ・マンソンをカヴァーした行為は、活動休止前に起こした大きな問題の一つだと言えるだろう。

フィンランドのグラム・ロックを代表するハノイ・ロックスの元ヴォーカル、マイケル・モンローはロサンゼルスで『ユーズ・ユア・イリュージョン』のレコーディングに参加し、ブルースハープとサックスを演奏しただけでなく、『スパゲッティ・インシデント』の最もエモーショナルな曲で重要な役割を果たしていた。以前、アクセル・ローズはモンローに対して、クリーブランド出身でニューヨークを拠点に活動する退廃的なパンクバンド、ザ・デッド・ボーイズの曲を聴いたことがないと話していた。そのため、モンローはアクセルのためにデッド・ボーイズの2枚のスタジオアルバムをカセットに録音し、ハリウッドをドライブ中に爆音で流したのであった。

モンローはローリングストーン誌にこう語っている。「アクセルは『エイント・イット・ファン』を聴くと、スラッシュに電話をかけ、明日、バンドのメンバーを集めるぞ、この曲は絶対にレコーディングしなきゃダメだと言ったんだ。」

モンローは、この曲のヴォーカルをモンロー自身とアクセルのために分割している。「もちろん、‟Ain’t it fun when you’ve broken up every band that you ever begun(日本語訳:お前が始めたバンドを全てお前自身がぶち壊したなんて、面白いよな) ”という部分をどうしても歌いたかったのさ」笑いながらモンローはそう言った。「当時、まるで他人事とは思えなかったからね。」

『エイント・イット・ファン』はモンローにとって特別な感情なしでは語れない曲だ。モンローはハノイ・ロックスの解散後、デッド・ボーイズのギター/ヴォーカルのスティーヴ・ベイターとロンドンで生活を共にしていた時期があり、90年にベイターが亡くなるまで親しい間柄であった。モンローとローズは、キャンドルに明かりを灯し、お互いの顔を見ながらゆっくりとしたテンポのこのカヴァーをレコーディングした。「歌う場所によっては、アクセルがスティーヴとそっくりだったんだ。俺は"これはデュエットじゃない。トリオだ"っていう感覚を持っていたよ。もちろん、スティーヴの魂がそこにあったという意味だけど」とモンローは話している。そして、この曲はアルバムの1曲目に選ばれたのであった。

「当時、デッド・ボーイズは忘れかけられていた存在だったのさ」そうローリングストーン誌に笑いながら話したのは、デッド・ボーイズの結成時のメンバー、チーター・クロームだ。「あの時は、実際に誰かが俺達のことを覚えていてくれて嬉しかったよ。」

しかし、世界有数のロック・バンドが曲をカヴァーしたのだ。嬉しいだけでは終わるはずがない。「ガンズ・アンド・ローゼズのアルバムに曲が使われたことで、大きな変化が起きたんだ」とクロームは話している。「俺はナッシュビルに移り、しばらくは仕事をすることなく、落ち着いた生活を送ることができたのさ。確実に俺の人生を少し好転させてくれたんだ。おかげで辛い時期を乗り越えることができたよ。」

94年、ローズは「できることなら、このアルバムを年金基金と名づけたかったよ」とジョークを飛ばしている。「だってさ、俺達はこの連中の生活を助けたようなものだろ。・・・カヴァーした曲の一部がリリースされた頃、俺は気に入ってたんだけど、そのことをバカにされたし、批判されたよ。でも、今なら聴いてくれるのかなっていう感じだったね。」

「パンクロックが持っていたのはエネルギーと反逆精神だったんだ。これはメインストリームにはあまり受け入れなかったけどね」とローズは語っている。「だから、俺達は好きか嫌いかは関係なく、メインストリームの人間として、ある程度の曲を何とかして人々に注目してもらなくちゃいけないのさ。」

93年頃、ガンズ・アンド・ローゼズのおかげで収入を得ていた人物がもう一人いた。それは、薬物の過剰摂取によって危険な状態に陥り、3年前に脱退を余儀なくされていた元ドラマーのスティーヴン・アドラーだ。アドラーは薬物への依存をガンズ・アンド・ローゼズの責任だと主張し、バンドを訴え、250万ドルの和解金を得ていた。ガンズ・アンド・ローゼズ側はと言うと、少なくともこの事件によってアルバムのタイトルのアイデアを得たことだけは間違いない。

裁判中、89年のある特定の時期について、マッケイガンは質問を受けていた。「スティーヴンは丁度この時期にクラック・コカインをやりまくっていて、冷蔵庫に隠していたんだ。スティーヴンは隠したコカインを"スパゲッティ"という暗号で呼んでいたんだ」とマッケイガンは当時を振り返っていた。「それで、法廷に陪審員やら何やらと一緒にいる時に、あのムカつく弁護士が立って、まじめな顔で"マッケイガンさん、スパゲッティの件について教えてください"なんて言うもんだから、思わず笑っちゃったよ。」

このアルバムがリリースされた後、── そして、ギルビー・クラークも脱退した後── ローズ、スラッシュ、そして、マッケイガンが、一緒にレコーディングを行った曲は、ザ・ローリング・ストーンズのカヴァー『悪魔を憐れむ歌』だけであった。そして、この曲は94年公開の映画『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』のエンディングで利用されることになる。スラッシュは回想記の中で「バンドがサウンドを切り裂く音がどんな音なのか知りたいなら、ガンズ・アンド・ローゼズがカヴァーした『悪魔を憐れむ歌』を聴くべきだね。二度と聴きたくないガンズ・アンド・ローゼズの曲を挙げろと言われたら、俺はこの曲を選ぶよ。」
スラッシュは、この曲を初めて聴いた時のことを回想記の中で「あれほどの落胆、怒り、フラストレーション、混乱を味わったことはない」と振り返っている。いじくりまわす癖があることで有名なアクセル・ローズは、幼馴染みのポール・トバイアスにスラッシュのギターのパートを被せて演奏させていた。「このカヴァーの制作に同意したことで唯一良かったことは、過去7カ月間にわたって達成することができなかったこと、つまり、この曲のおかげで、メンバー全員をスタジオに呼ぶことができた点だけさ。」

「これが一緒にレコーディングした最後の曲になった」とソーラムは当時を思い出して語った。「ダフとスラッシュと俺は1日前にレコーディングを終え、その後、アクセルが別にレコーディングすることになったのさ。俺達のバージョンも良かったけど、ローリング・ストーンズのレコーディングが完璧だったと思っていたよ。」