ガンズ・アンド・ローゼズ結成秘話 アクセル・ローズを巡る当事者たちの証言

How Guns N' Roses Formed
RollingStone 2021.03 By ROLLING STONE.

ガンズ・アンド・ローゼズ結成までの知られざる物語とは? 新たに刊行されたオーラルヒストリー『Nöthin' but a Good Time』より、メンバー/バンド関係者の証言をお届けする。

1988年、全身の力を振り絞り、極めて特徴的なシャウトで「Sweet Child O’Mine」をヒットさせたガンズ・アンド・ローゼズだが、ロサンゼルスのサンセット・ストリップで結成された当初は発展途上の不完全なバンドだった。結成からしばらく経った80年代半ば、いわゆる「クラシック」メンバーが集結したことで、バンドにパワーと繊細さが兼ね備わることとなる。アルバム『Appetite for Destruction』が誕生するずっと以前、インディアナ州出身のアクセル・ローズとギターのイジー・ストラドリンは、アクセル、ハリウッド・ローズ、L.A.ガンズといったバンドで活動していた。その後2人に加えて、ギターのスラッシュ、ベースのダフ・マッケイガン、ドラムのスティーヴン・アドラーが合流し、ガンズ・アンド・ローゼズという一つの金字塔を打ち立てることとなる。しかし、頂点に登り詰めるまでは長い道のりだった。彼らは、トルバドールやギャザリズといった小規模なクラブでのギグをブッキングしようと必死だった頃の決意を、今でも決して忘れていない。

ハードロックの退廃の時代を描いた新著『Nöthin' but a Good Time: The Uncensored History of the '80s Hard Rock Explosion』では、ガンズ・アンド・ローゼズのメンバーに加え、L.A.ガンズや初期のガンズ・アンド・ローゼズに在籍したトレイシー・ガンズらが、当時を赤裸々に振り返っている。同書の著者でローリングストーン誌のコントリビューターでもあるTom BeaujourとRichard Bienstockが、ボン・ジョヴィ、スキッド・ロウ、シンデレラ、モトリー・クルーら過激な80年代を体現したアーティストのストーリーと共に、ガンズ・アンド・ローゼズの結成秘話をオーラルヒストリーとしてまとめた。以下の記事は著書からの引用で、バンドのメンバーの他、ガンズ・アンド・ローゼズにつながる様々なバンドでプレイしたミュージシャンたちの証言で構成している。仲間からは「ビル」と呼ばれ、後にアクセル・ローズと名乗るようになった男が、ロサンゼルスで最もデンジャラスなバンドのフロントマンになるまでの顛末がここに語られる。

アクセル・ローズとの最初の出会い

イジー・ストラドリン(Ba/シャイアー、Gt/ハリウッド・ローズ、ガンズ・アンド・ローゼズ):アクセルの存在を知ったのは、これはまだお互いが知り合う前だけど、8年生か9年生の登校初日だった。俺が席に座っていると、前の方から騒ぎ声が聞こえてきた。怒鳴り声と一緒に教科書が飛んできて、取っ組み合いになっていた。騒ぎの張本人がアクセルで、奴は教師をドアへ突き飛ばすと廊下へ飛び出して行った。その後を、教師連中が束になって追いかけて行ったよ。それがアクセルとの最初の出会いだ。忘れられない思い出さ。

トレイシー・ガンズ(Gt/ガンズ・アンド・ローゼズ、L.A.ガンズ):イジーに盛んに言われていたんだ。「俺の友だちのアクセルに会った方がいい」ってね。ああ、その当時は「ビル」って呼んでいたけれどね。「きっと馬が合うと思う。奴のシャウトはお前好みだからさ。ナザレスをコピっているんだ」と、繰り返していた。俺は「ナザレスか。いいね!」って答えたのさ。

イジー・ストラドリン:カリフォルニアへ来たのは17歳の時だった。俺はフロリダで育って、母親とインディアナ州のラファイエットへ引っ越した。遊び半分にドラムを叩いていた頃にアクセルと出会って、つるむようになった。他にすることもなかったから、一緒にバンドを組もうって話になった。でも時代と場所が悪かったな。周りの連中も女たちも、いわゆる退廃ってやつさ。女の子らは、ギグにどんな格好をしていけばいいかもわからない状態だった。成功しそうな雰囲気はまるでなかったよ。アクセルも俺も、ハードでラウドなビートが気に入っていた。そこに共通点があったから、俺たちはどうにかやって来れたんだろうな。

トレイシー・ガンズ:ルーズヴェルト・ホテルへシャイアーのステージを観に行ったら、新しいベーシストとしてイジーが弾いていたんだ。レザージャケットを着て、白のカウボーイブーツを履いていた。髪も黒く染めていたな。こいつセンスあるな、と思ったよ。それに奴がモトリー・クルーのファンだってこともわかった。だからステージが終わるとすぐに奴のところへ行って、「ヘイ、俺はトレイシーって言うんだ」と声を掛けた。奴も「イジーだ」と返して、それからは「オーケー、俺たちは仲間だ!」って感じさ。

ビリー・ロウ(Gt/ジェットボーイ):ジェットボーイがロサンゼルスで活動し始めたのは1983年のこと。俺はまだ高校生だった。女友だちの中にW.A.S.P.の大ファンがいた。まだデビューアルバムが出る前だった。ある時、彼女に付き合ってW.A.S.P.のサンフランシスコでの初ライブをトルバドールへ観に行くと、クラブの外にパンクスタイルのクールな奴が立っていた。全身黒づくめでクリーパーズを履き、ピンクでスプレーして靴用クリームでピカピカにした黒いレザージャケットを羽織っていた。正に俺がお気に入りのハノイ・ロックスそのものだった。それがイジーだった。それから俺たちは知り合いになって、クリス(・ウェバー)の両親の家に入り浸るようになったのさ。

クリス・ウェバー(Gt/ハリウッド・ローズ):俺がイジーを家に連れて行った。俺の母親は、彼を「ジェフ」と呼んでいたな。それから俺たちは一緒に曲を作り始めた。いつかはよく覚えていないが、ちょうど(エアロスミスの1982年作)『Rock in a Hard Place』が出た頃だ。「Jailbait」にインスパイアされて「Anything Goes」(元々はハリウッド・ローズの楽曲で、後にガンズ・アンド・ローゼズのアルバムに収録された)を書いたから、よく覚えてる。最初の頃、俺とイジーはよくエアロスミスも聴いていた。

ビリー・ロウ:イジーはよく、アクセプトのアルバム『Restless and Wild』も聴いていたな。「Fast as a Shark」なんかを聴いてみると、ハリウッド・ローズとガンズ・アンド・ローゼズの「Reckless Life」に通じるものがあるのがわかるだろう。アクセルは正に、ウド(・ダークシュナイダー:アクセプトのヴォーカリスト)の雰囲気を持っているし。この話は初耳だろう。

クリス・ウェバー:とにかく何曲か一緒に作った頃、イジーが「ヴォーカルをやってる友だちがいて、奴に歌わせてみたい」って言うんだ。そうして現れた「ビリー・ベイリー」が、後に俺たちのヴォーカリストになるのさ。

ハリウッド・ローズの結成

トレイシー・ガンズ:半年ぐらい経った頃、「ビルはいいな。奴を入れてバンドを組んだらハノイ・ロックスみたいになるぜ」って話になって、「そりゃ最高だ!」ってことになったのさ。

クリス・ウェバー:その頃アクセルはロサンゼルスに住んでいて、ラピッド・ファイアーってバンドで歌っていた。でも、彼はしばらくしたらインディアナの実家へ帰るんだろう、と思っていた。

イジー・ストラドリン:奴はロサンゼルスに落ち着くまでに、2〜3度は行き来していたからね。

トレイシー・ガンズ:結局アクセルはインディアナから出て来たんだが、イジーの元カノだったジェーンの所に転がり込んでさ。その頃イジーは俺と一緒に住んでいたから、ややこしい感じだった。

クリス・ウェバー:イジーとアクセルは何ていうか、運命共同体みたいなもんだな。外から見ているとそんな感じだった。俺だったら、あんな2人のような関係は無理だ。俺はロサンゼルス生まれで、奴らはラファイエットの田舎育ちだからだろうな。

ローラ・レインジョン(ロサンゼルス在住のグルーピー):イジーと私はダウンタウンのバスステーションでアクセルを拾って、彼が住んでいたホイットリーのアパートメントまで送ったの。私は初めて彼の髪を切ったわ。ロスへ来た時の彼は、赤い髪をずいぶん長く伸ばしていたのよ。

クリス・ウェバー:ある時イジーに、アクセルが住んでいたホイットリーまで連れて行かれた。フランクリンのすぐ北側だ。エレベーターの入り口に引き戸が付いているような古いアパートメントだった。俺たちは屋上まで上がって、屋根の上を歩いて行った。すると、屋根の上で日光浴しているやけに肌の白い奴がいた。焼けつくように暑い日で、そいつの肌の白さだけが印象に残っている。そしてイジーに、「こいつがビルだ」と紹介されたんだ。

ロブ・ガードナー(Dr/L.A.ガンズ、ハリウッド・ローズ、ガンズ・アンド・ローゼズ):そうやってハリウッド・ローズが結成されたという訳さ。

クリス・ウェバー:最初のバンド名はAXLだった。誰が思い付いたか知らないけれど。少なくとも俺ではない。多分アクセルだろう。でもその時はまだアクセルとは名乗っていなかった。バンドで一緒にやっている時に、奴をアクセルなんて呼んだことはないと思う。俺にとって、彼はいつでもビルだ。そうして、俺とイジーとビルでスタートしたのさ。その後、仲間内で少し揉めた時に、イジーがビルに「喧嘩は止めてバンドを続けようぜ」となだめようとした。でも彼は「名前が悪い。AXLって名前ではもうやりたくない」って言い出したんだ。

そこで俺たちはローズと名乗るようになった。でも輸入盤のショップへ行った時に、どこかの国にローズというバンドが既にあることがわかったのさ。だから結局、ハリウッド・ローズを選んだ。バンド名に関してはすったもんだあった。まるでスパイナル・タップみたいにな。

「明らかにクール」だったスラッシュ

クリス・ウェバー:ハリウッド・ローズは、ハリウッドのあちこちのクラブにレギュラー出演した。最初のギグは、オーファニッジ(1984年1月)だった。それからトルバドールや、マダム・ワンズ・ウエストでもやった。

トレイシー・ガンズ:イジーが、「マダム・ワンズ・ウエストで一緒にやらないか?」と声を掛けてきたんだ。そして「もちろんさ、一緒にやろうぜ」ということになった。昼間に出かけて行ってサウンドチェックなんかしていると、アクセルが自分でマイクの前に立ってシャウトしたのさ。俺は「こいつ、やるな!」と思った。奴の歌を聴いて初めて、アクセルと仲間になりたいと思ったんだ。

クリス・ウェバー:そして事件が起きたのは、ハリウッド・ローズがミュージック・マシーンでストライパーと共演した時のことだ。俺の記憶では、ステージでギターを振り回したらギターヘッドがアクセルにぶつかったんだ。そしたら彼がものすごい勢いで怒り始めてさ。多分、アクセルがキレやすいって思っているのは俺だけじゃないと思う。傷つきやすいくせに、キレやすいのさ。解雇されることはなかったが、バンドは分裂状態になった。

トレイシー・ガンズ:とにかくクリス・ウェバーがバンドから追い出されて、スラッシュが入った。俺とスラッシュが友だち同士だってことを誰も知らなかったのは、面白い話だけれどね。とにかく奴らは、スラッシュをハリウッド・ローズのギターとして迎え入れたんだ。スラッシュは明らかに見た目がクールだからな。だから引っ張られたのさ。

スティーヴン・アドラー(Dr/ロード・クルー、ハリウッド・ローズ、ガンズ・アンド・ローゼズ):俺とスラッシュがサンセット・ブールバードを歩いていると、バカに目立つチラシが貼ってあったんだ。そこに映っていたヴォーカルとギターがめちゃくちゃクールでさ。それがローズ、つまりハリウッド・ローズのアクセルとイジーだった。それから俺たちはギャザリズへ出かけて行って、奴らのステージを観たんだ。

マーク・キャンター(スラッシュの幼なじみでキャンターズ・デリのオーナー):スラッシュとスティーヴンとは、何年も前からの知り合いだった。バンクロフト中学校で一緒だったのさ。その後何年か音信不通だったが、スティーヴンはロード・クルーでドラムを叩くことになった。そして、シアトルから引っ越してきて1週間かそこらのダフが、ロード・クルーに加入したのさ。

LAに引っ越してきたダフ・マッケイガン

ダフ・マッケイガン(Ba/ロード・クルー、ガンズ・アンド・ローゼズ):LAに引っ越してきたのは、1984年の9月だった。シアトルのパンク小僧にとっては、正にカルチャーショックだったよ。もちろん、エディ・ヴァン・ヘイレンみたいなギタープレイが流行っているのは知っていたし、モトリー(・クルー)が自主制作した最初のアルバムも聴いていた。でもこっちへ引っ越してきて、電柱に貼ってあるバンドのチラシを見たら……どいつもこいつもロングヘアーで、しかもみんな揃ってあんな格好でさ。当時の俺の気持ちがわかるだろ?

マーク・キャンター:とにかくダフは、スラッシュがリサイクラー誌に掲載した広告に応募して、そこからジャムセッションが始まったんだ。

ダフ・マッケイガン:スラッシュの広告には、「フィアー、エアロスミス、初期アリス・クーパー的なバンド」と書いてあった。それで募集者の名前が「スラッシュ」と来れば、誰でも俺と同じパンクロック畑の奴だと思うだろう。スラッシュへ電話してみると、すげぇクールな奴だった。それからキャンターズ・デリで、スラッシュとスティーヴンに会った。スラッシュは「左奥のボックス席にいる」と言っていたので、店に入って左の方を見てみると、あの髪型が並んでいるだろ! それで俺の方は、背中にアナーキーの「A」の文字が入った、ロングの派手な赤黒のピンプジャケットって格好だった。奴らからしてみると「はぁ?」って感じだったと思う。その頃のスラッシュのガールフレンドはストレートな物言いをする女の子で、「あんた、ゲイ?」って聞かれた。俺が「いや、ゲイじゃない」と答えると、「オーケー、それなら誰かガールフレンドを紹介してあげるわ」と言われたよ。

その晩は、みんなでスラッシュの母親の家に行った。地下にあるスラッシュの部屋でウォッカを飲んでいると、奴がギターを弾き出した。同世代であんなギターを弾く奴には、それまで会ったことがなかった。でもロード・クルーはヴォーカル不在で、「お前は歌えないかな……」とまで言われたよ。でも俺はもうシアトルからロサンゼルスへ引っ越していたし、次のステップへ進む気満々だったからな。高校を出たばかりでレパートリーはギターリフばかり、なんて奴らとつるむつもりはなかった。たとえそのバンドに、スラッシュみたいなすげぇギタリストがいてもな。

マーク・キャンター:スラッシュは、トルバドール・クラスのクラブでギグができるレベルのヴォーカリストを、自分では見つけられなかった。だから、どこかのバンドから引き抜くしかなかったのさ。ローズ、つまりハリウッド・ローズは既にライブをこなすバンドだった。このバンドも名前があれこれ変わっていた。ある時、スラッシュやスティーヴンと一緒にギャザリズへ行った。確かバンド・バトルみたいなライブの日で、入場料は1ドルかそこらだったと思う。ローズはたった3曲しかやらなかったが、とにかくアクセルは良かったし、イジーも良かった。

スティーヴン・アドラー:俺は言ったんだ、「あのヴォーカルとギターをゲットできて、あとはベーシストが揃えば、最高のバンドになるぜ」と。

ガンズ・アンド・ローゼズが誕生した瞬間

トレイシー・ガンズ:マネージャーのラズが、奴は使えないとか何とか言ってヴォーカルのマイク・ヤゴシュを首にした。だから俺はアクセルに、「L.A.ガンズでしばらくやってみないか?」と連絡を取ったんだ。彼からは「いいよ」という返事だった。それから丸々9カ月か10カ月活動して、最終的にロンドンと共演したのさ。

マーク・キャンター:L.A.ガンズがトルバドールでロンドンの前座をやった時は、見に行った。

ダフ・マッケイガン:俺もトルバドールにいた。スラッシュに連れて行かれたんだ。アクセルに出会う前から、俺は既にたくさんのライブを観ていた。俺が前に在籍していた10・ミニット・ウォーニングがシアトルでブラック・フラッグの前座をやった時は、ヘンリー・ロリンズが加入した最初のライブだった。ヘンリーは、俺が見た中で一番真剣に打ち込むヴォーカリストだった。ライブの前はドルフィンショーツ一枚でストレッチをして、誰とも会話せず、完全に集中して戦闘態勢に入っていた。L.A.ガンズのステージでアクセルを観た時も、ヘンリーと同じような集中力を感じた。でもアクセルの方がもっと狂気的だった。本物なんだ。そしてあのハイトーンだろ。アクセルのようなヴォーカリストは見たことがなかった。

トレイシー・ガンズ:マネージャーのラズが、アクセルをL.A.ガンズから解雇した。「お前とはやってられない」という感じだった。そこで俺たちは急遽マイク・ヤゴシュを呼び戻した。これがきっかけで、ハリウッド・ローズの再結成につながったと思う。

でも、アクセルと俺はその後も密に連絡を取っていたんだ。それで、また一緒に続けようということになったんだけど、メンバーをどうするかが問題だった。「イジーは今、何もしていないはずだから、声を掛けてみようか?」ということになった。

アクセルとは、「曲を作ってレコーディングして、ライブで新曲をやろうぜ」という感じで始めた。そうしているうちに、奴の名字と俺の名字を単純に足しただけの、ガンズ・アンド・ローズというバンド名のアイディアが生まれた。するとすぐにアクセルが、「それよりもガンズ・アンド・ローゼズの方がいい」とアイディアを出したんだ。俺は「いいね、グレートなバンド名だ」って感じで、全てが始まったのさ。

※本記事は『Nöthin' but a Good Time: The Uncensored History of the '80s Hard Rock Explosion』からの引用で構成。
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Translated by Smokva Tokyo