1986年12月にリリースされた初めてのEP『Live ?!*@ Like A Suicide』は、いきなりこう始まる。
“Hey, f__kers! Suck on f__kin’ Guns N’ Roses!”(おい、おまえら!ガンズ・アンド・ローゼズをなめるなよ!)
その忠告と共に「Reckless Life」が始まり、過熱したエアロスミスのようなサウンドで世界へと向かって送られ、パンク原動力と共に新しく誕生したロックの神様が放つ大言壮語をまとめた翌年にリリースされる圧倒的なデビュー・アルバム『Appetite for Destruction』を定義することになるパンク・メタル・ハイブリッドの基礎作りをしていた。
しかし『Live ?!*@ Like A Suicide』の名前に反してEPはスタジオで制作され、1986年10月にハリウッドのパシャ・スタジオにてレコーディングが行われ、観客のノイズは上からダビングされた。しかしこれは初期のガンズ・アンド・ローゼズ伝説にとって重要な要素となった、(ドラマーのスティーヴン・アドラーによると)反抗的なユーモアで、サンセット・ストリップのクラブに集まった観客に似せようと、70年代のテクサス・ジャム・ロック・フェスに集まった観客の声が使用された。
どっちみちEPのリリースはファンのためだった。パンク・アンド・ロールでロスの音楽シーンを攻撃し始めてから12ヶ月間という短期間でガンズ・アンド・ローゼズは全国ニュースで取り上げられ、サンセット・ストリップで猛烈に献身的なファンたちに支えられていた。デビュー・アルバム『Appetite For Destruction』をまだ制作中だったメンバーたちは、実際にはゲフィン・レコードが完全に援助していたレーベルだったが、表向きは自主レーベルとなっていたウージー・スーサイドから限定EPをリリースした。EPリリースの目的はストリート・インディースの信頼性を保つためと、初期からのファンたちを喜ばせるためだった。“ステージだけではなくストリートでもサポートしてきたファンたち”(とクレジットに記載されている)は、期待通り1万枚の12インチをロスのレコード店からあっという間に買い占めた。
EPは実際にはライヴ・レコーディングではなかったが、当時のロスで行われていたガンズの反抗的なステージの威力をしっかりと捉えている。「Reckless Life」はバンドの更なるオリジナル曲「Move to the City」(初期の頃のメンバーたちが体験していたストリート・パンクのライフスタイルを正に描いている)に支えられており、どちらも当時のライヴ・セットリストを代表する曲である。その他にも2曲ライヴで演奏していたトラックがEPに収録されており、一つはオーストラリアの伝説的ロック・バンド、ローズ・タトゥーの「Nice Boys」の激しいカバー、そしてもう一つはエアロスミスの「Mama Kin」のうなるようなカバー。「Mama Kin」は抜け目のない選択であり、スティーヴン・タイラーが70年代にまだレコード会社と契約を結ぶ前に作曲したトラックでは、ガンズが抱くファンとしての深い気持ちを率直に表している。
ガンズ・アンド・ローゼスはEP『Live ?!*@ Like A Suicide』を最も献身的なファンへ捧げているが、全国規模でも海外でも注目を浴び、翌年リリースの『Appetite For Destruction』に向けて世界に下準備をする機会を与えた。ニューヨーク拠点のサーカス誌は“正に熱いパンク/R&B/グラム/メタル・ノイズで、両親に嫌がれることは間違いない(恐らく友達の半数も)”と記載し、UKではKerrang!誌の伝説的ロック記者ミック・ウォールがEPを“1981年発売のモトリー・クルーの『Too Fast For Love』以来のロスから飛び出した最高級な低俗ロックンロール”と称賛している。
ガンスは今週もまた世界のトップ記事で取り上げられている。長いこと望まれていた再結成が発表され(ギタリストのスラッシュとベーシストのダフ・マッケイガンは90年代半ば以来のカムバック)、今世紀最もエキサイティングな音楽イベントの一つとして世界を興奮させた。このニュースで間違いなく新たなファンたちがガンズのレアなコレクションを素早く買い漁ることは間違いない。1988年発売のアルバム『GN’R Lies』の一部としてリイシューされたオリジナルの『Live ?!*@ Like A Suicide』だったが、高値の100ポンドで売られている。もし探しているのなら、海賊版がずっと前から市場に出回っているので注意した方がいい。