デイヴ・ナヴァロ、GNRに誘われたとき「ドラッグにどっぷり漬かっていて…」

1991年にガンズ・アンド・ローゼズからイジー・ストラドリンが脱退したとき、アクセル・ローズの後任ギタリスト第1候補はデイヴ・ナヴァロだったそうだが、ナヴァロは当時、ドラッグにどっぷり漬かっており、それどころではなかったという。

ナヴァロは、最近、ゲスト出演した『Appetite for Distortion』ポッドキャストで、実現しなかった理由についてこう話した。「アクセルは本当に俺に加入してほしがっていた。俺ら、ほぼ毎日話してた。でも、人生のあの時期、俺は心ここにあらずの状態だった。オーディションがあったが、俺は行かなかったんだよ。薬物依存症の真っただ中で、そんな状態で行くことはできなかった」

アクセルはその数年後、ナヴァロに再び声をかけてくれたという。映画『End Of Days』(1999年)にガンズ・アンド・ローゼズが提供した楽曲「Oh My God」の制作に参加するよう誘われた。「ある日、アクセルから電話があり、“サウンドトラックに取り掛かってるんだが、ギター弾いてみないか?”って言われた。“もちろん、やるよ!”って答えた」

そこで面白い体験をしたそうだ。「指定された時間にスタジオへ行った。スタジオには10人位いたかな。“アクセルは?”って訊いたら、“すぐに来る、向かってる。でも、先に始めよう”って言われ、曲を聴かせてもらった。素晴らしい曲だったよ。それで、俺が数テイク、レコーディングしてたら、突然、どこかから“ああ、それいいよ。そこは取っておこう”って声がした。アクセルだったよ。彼はずっと、スピーカーフォンを通じ家から聴いてたんだ。それで方向性を指示してきた。あれは奇妙な体験だった。でも、そこが気に入ったよ。面白い話で、忘れられないものになったからね」

イジー・ストラドリンの後任はギルビー・クラークが務め、ナヴァロは1993年にレッド・ホット・チリ・ペッパーズに加入した。(Ako Suzuki)


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ジェーンズ・アディクションのギタリストであるデイヴ・ナヴァロはガンズ・アンド・ローゼズに加入しそうになったが、オーディションに行かなかったと説明している。

1991年にジェーンズ・アディクションが解散し、ガンズ・アンド・ローゼズからイジー・ストラドラインが脱退した後、アクセル・ローズはデイヴ・ナヴァロに加入させたがっていたという。

ポッドキャスト『アペタイト・フォー・ディストーション』に出演したデイヴ・ナヴァロは「ほぼ毎日話をして、自分とバンドがうまくいくかどうかについて語っていた」と説明している。

「でも、あの時はまだそれをやる余裕がなかったんだ」と彼は語っている。

デイヴ・ナヴァロはオーディションに行かなかったことについて「ドラッグ依存症にのみ込まれていて、単純に行くことができなかったんだ。そうなってしまったんだよね」と続けている。

デイヴ・ナヴァロはその後、レッド・ホット・チリ・ペッパーズに加入して、1995年発表の『ワン・ホット・ミニット』に参加したが、ジョン・フルシアンテが代わりに加入している。デイヴ・ナヴァロはアーノルド・シュワルツェネッガー主演の1999年公開の映画『エンド・オブ・デイズ』に提供されたガンズ・アンド・ローゼズの楽曲“Oh My God”でアクセル・ローズと仕事をしている。

インタヴューでデイヴ・ナヴァロはレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーとガンズ・アンド・ローゼズのダフ・マッケイガンがそれぞれ別の時期にジェーンズ・アディクションに参加したことについても語っている。「この歳になると、過去のことは水に流した音楽的集団の一員で、何度も一緒に演奏したんだ。まあ、6人辿れば誰とでも繋がるというけどさ」

先日、デイヴ・ナヴァロはフー・ファイターズのテイラー・ホーキンスらとスーパーグループのNHCを結成している。今のところ、“Feed The Cruel”、“Better Move On”、“Devil That You Know”、“Lazy Eyes”という4曲をリリースしている。

NHCは初ライヴでフー・ファイターズのパット・スメアとテイラー・ホーキンスの14歳の息子であるシェイン・ホーキンスを迎えており、デヴィッド・ボウイの“Ziggy Stardust”を披露している。
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