ダフ・マッケイガン、プリンス『1999』が自身の人生と音楽キャリアに与えた影響について語る

ガンズ・アンド・ローゼズ(Guns N’ Roses)のダフ・マッケイガン(Duff McKagan)は、プリンス(Prince)のアルバム『1999』が自身の人生と音楽キャリアに与えた深い影響について明かしています。

1980年代のシアトルは活気に満ちている一方で多くの問題を抱えていました。街では多くの創造性が花開いていましたが、そのエネルギーはヘロインの暗い影に覆われることも多く、多くの才能あるミュージシャンたちの命や将来を奪っていきました。その中には、若かりし頃のマッケイガンの友人たちも含まれていました。

この混乱した時代にシアトルで育ったマッケイガンは、その混沌を直接目の当たりにしていました。Classic Rock Italy誌の新しいインタビューの中で、プリンスのアルバム『1999』がどれほど心の支えとなり、人生の暗黒期を乗り越える手助けとなったのか語っています。

「当時18歳で、まだシアトルに住んでいたが、ヘロインが友人たちを次々と奪っていった

(『1999』収録曲の)“Something In The Water (Does Not Compute)”は、俺にとって現実逃避の手段だったし、そのアルバムのおかげで、シアトルを離れなければならないと気づいたんだ。2年後、俺はシアトルを離れた。

その後、“Seattlehead”という曲を書いた。(レコーディングしたのは)故郷に戻った後だったと思う。

(シアトルを離れて)気分が良くなったし、自分の居場所を見つけた。安全で、素晴らしく、良い場所だった。

(“Seattlehead”はダフ・マッケイガンズ)ローデッドのアルバム『Dark Days』で発表されたが、実際にはずっと以前、1990年代初頭に書かれたもので、1984年にシアトルからロサンゼルスに移り住んだ時のことを歌っている。“天使の街が俺を受け入れ、そしてドアを閉めた”とね」

マッケイガンは別のインタビューの中で、シアトルから引っ越したくなかったが、状況があまりにも悲惨だったため、他に選択肢がなかったとも話していました。

「シアトルには素晴らしい音楽シーンがあったけど、残念ながら、83年頃にヘロインが蔓延し、俺は(残るという選択肢を)失ってしまった。どこにも引っ越したくなかったし、素晴らしい人たちと演奏していたのに。どのバンドも、あと一人加われば、本当に素晴らしいバンドになるという状態だった。シアトルのシーンが盛り上がったのはそれから数年後だった。ただ、俺のグループではみんながハイになってしまって、もう潮時だった。(音楽を)続けたいなら、出て行く時だったんだ」


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